我が家の母の日は「平凡」がなによりもの贈り物

昨日は母の日

母の日のプレゼントを買い物しているお子さんたちがいると、お母さんに喜んでもらおうとおもっているお子さんたちってなんて素晴らしい、きちんとした家庭で育ったんだろうなと感心します。

我が家の母の日は毎年これといてなにもない。

寂しいとか、子どもたちに嫌味をいっているわけではなく、便りがないのはいい知らせだとおもっているので連絡がなくてもまったく気にならない。

昔はドタバタでした

子どもたちが小学校の頃は授業の一環でつくった絵やプレゼントをもらっていたことがありましたが、それ以降はプレゼントをもらった記憶がない。

子どもが学生のときは学校から呼び出しはもちろんのこと、思春期の時は軌道修正で大喧嘩したりして

大人だから大人の対応ができるかというと感情が先走ってしまっていて優しい母親から大きくかけ離れていて親らしいことは全っくできていなかったですねー、自信もっていえます!

職場では人畜無害くらいにおもわれているようですが、子どもたちが学生の頃は「お母さんは外面がいいからねー」としらけた顔をされてました。

自立が一番の贈り物

ようやく子どもたちが成人して働いて生活ができるようになるのもそうですが、問題が起こっても自分で対応できるようになって、会った時に「こんなことがあった」と事後報告を聞くと、いちようそれなりに育っていて親としてできていたんだなーなんて最近おもいます。

子どもを生んだから親になるんでなく、子育ては寝れなくて辛かったり、大きくなるにつれて憎たらしくもなってくるし、でもたまに楽しくて、奮闘していた頃は腹が立ったり落ち込んだりして、親として鍛えられたというか、そうやって親としての責任と忍耐を経験して親になれたんだとおもいます。

親からすると子どもが自立してくれることがなによりもの親孝行で「おかあさんありがとう」なんて連絡がなくていいんです。

それこそ母の日になにかしてきたら、やましいことでもあるんじゃないかと疑ってしまいそう(笑)

「母の日」は子どもたちからなにかされるのでなく「母親にさせてもらった・母親になれた」ことを思い返す日ですね。

昨年からひとり暮しになっていつになく平凡で穏やかーな「母親になれた日」を過ごせて幸せだなーっておもいました。

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